たまには弱音を

他でも書いたけど、この業界に入る第一のきっかけとなったのは学生時代に亡くした母方の祖母の影響

人生初の登山、しかもいきなり富士山という無謀っぷり

しかも弾丸で

登ろうと誘われたのは前日夜

アホかと

しかも雨予報

アホかと

でも行かなきゃならない気がした

当日雨予報を避けてか、人が全然おらず何故か快晴

頂上まで5時間、特に八合目がとてつもなくきつかったのを鮮明に覚えてる

登頂、そしてその先にある真の頂上へ自然と歩みを進めた

そこには古びた倒れかかった古い鳥居

その下に謎の石碑

『豊作祈願』岩手町

その時、亡くなったばあちゃんの顔がよぎった

岩手は、ばあちゃんの故郷だった

それで思い出したのか、他の理由で出てきたのかはわからない

もう足もフラフラで、すぐにでも座りこみたかったくらいだったから覚えてもいない

雷に打たれた様な感覚が走った

『あなたの好きな事で人の役に立ちなさい』ってニュアンスの言葉みたいなものがばあちゃんの声で頭の中に流れ込む

そこで極限の疲労の中、逆にクリアに研ぎ澄まされた頭で決心がついた

『あ、農業やろう』って

ばあちゃんに背中を押された気がしたんだ

、、、

そして、今度は父方の祖母(2021年現在時点存命)が

父が8年程前に若くしてガンで亡くなってからだ

当時の父の“再再婚”相手は認知症の祖母を施設に入れっぱなしで、父の遺産のうちの負の部分だけを放棄し、我々腹違いの兄弟へは貸付元から分厚い訴状が届いてからその負の遺産の存在を知る

勿論そんなの蹴るさ

兄弟みんな蹴った

弁護士、ばあちゃんの後見人の先生すら蹴る事を強く進めた

そんなのわかってんだよ

誰が好んで借金だけ背負うってのよ

兄弟で唯一俺だけが、ばあちゃんの住んでた熱海の家で産まれたのもあり、愛着が強かった

相談したさ

誰もかれも蹴れって

だから、みんな蹴ったらどうなんのって

担保にされてる熱海のばあちゃんの家と土地は俺が幼い時に亡くなったじいちゃんが大切にしてたものだろって

しかもばあちゃん、とっくに施設入ってるから家の中身そのまんまなんだって

さらに父の奥さん、不要なものは全部熱海の家に押し込んで行ったしよ。ゴミと一緒に思いでを捨てるみたいに

ばあちゃん、自分の判断もつかないところで思い出全部、家も土地も全て失うんだぞって

そりゃないだろうが

幼い時に両親は離婚してたから、さほどばあちゃんの事は覚えてないけどさ、笑った顔は覚えてんのよ

大学時代、旅行で熱海来た時、こっそり抜け出して、まだその時生きてた父と認知症なり始めたくらいのばあちゃんにも会ってるしよ

だから払えるうちは払いたいの

出来るのに、諦めるのはイヤなの

諦めて失うモノが俺にとっては大きすぎるし、悲し過ぎる

だから借金は継いだ

それで熱海の産まれた家とばあちゃんの思い出が守れるならば、と

ばあちゃん、もう思いでも思い出せないくらいだけどさ

するとさ、板挟みに会う時があるの

頑張って稼いでも稼いでも、それが全て借金返済に回って、苦しくて吐きそうになる時がある

後悔は無いなんて気張って言っても、多少ウソになる

ましてや厳しい農業の世界だ

熱海で独立する時、ただでさえ借金まみれで、ましてや農業でなんて無謀過ぎると笑われた

悔しかったよ

きっかけをくれた母方ばあちゃんと、足枷となるきっかけにもなり得る父方のばあちゃん

もう意地だよね

ばあちゃんもさ、自分のきっかけで孫の可能性潰したなんて知ったらどんな気持ちなんよ

そういう今では認知出来ないのは助かってはいるのかも知れない

だから意地でも通したさ

無理だ無理だと叩かれ笑われてもいいんだよ、それで折れたら負けだろうよ

俺の人生かかってんだわ

かけてんだわ

ばあちゃんの悲しむ顔が浮かぶよダブルで

そんなんあんまりだろうよ

あんたらの残した借金ごときじゃ、孫の俺のやりたい事には足枷にすらならないから安心してって胸を張って言ってやりたかった

出来る限りは払い続けるしよ

やってダメならそれまでと思ってる

そんときゃ、盛大に笑ってくれよ

やらずしてその可能性を自ら捨てちゃならないって内側の俺が叫んでんだ

やれるだけやるさ

だからキツい時は肩貸してくれ

シンドイ時は頼らせてくれ

やるだけはやるから