出逢いはいつも突然に

草刈中の出逢いはいつも突然やってくる。

 

その度にじっくりと生体観察。

 

なぜここにいるのか?

何をしているのか?

何が目的なのか?

何を食べているのか?

何に食べられるのか?

何をもたらすのか?

 

理由が無ければそこにいないからだ。

何も理由なしにそこにいる事はあり得ないからだ。

『必ず』何かしらの理由があって、その理由を確かめるべく、私は観察を続ける。

 

何の事か?

そう、草刈中は色んな虫達に出逢う。

 

今回は何の幼虫だろうか?

この見てくれと言わんばかりのビビットな鮮やかカラー。

 

極め付けはウサギを彷彿とさせる可愛い耳の様な触覚だ。

 

何故顔の部分だけ黒くする必要があったのか?

 

何故隠れる様な緑色では無く、目立つ様なビビットカラーをセレクトしたのか?

 

尻尾の二本のとんがりは何に使うんだい?

 

そんな事を、無言でこちらに見向きもせずに葉に食らいつく謎の幼虫に一人問いかける。

 

すると、それまで全く見向きもしなかった謎幼虫がこっちを振り向くじゃないか。

 

『え?』

 

一瞬だったがね。

 

きっとそれぞれに意味が、理由が彼らにもあるはずだ。

 

時間が許せば小一時間問いただしたい所だが、生憎草刈りの途中なので観察後はそっと元の位置に戻してやった。

 

実は、正にこの瞬間、私がここにいなければ、今後も私と無関係に廻る自然界に少しでも触れた様な気がして、毎度不思議な気持ちになるのだ。この感覚わかるだろうか。

 

少し話は逸れるが、よく『自然欠乏症』というワードを農業界にいたら頻繁に耳にする。

キレイに整備され、ビル群に囲まれた、自然とはほど遠い現代の無機質な人間社会の生活において、人間の本能がやはり根底には自然を求めているのだろう。

人間も自然の一部である事を思い出せというシグナルなのだろう。

 

何かが足りない、満たされない。

何かを忘れている気がする、何かを思い出さないといけない気がする。

そんな些細だけれど本質的に大切な事も気にしてはいられない程、日々の忙しさに忙殺され、タスクの消化に追われる日々。

休日は日々の積み重なったストレスの解消に回り、息抜き、ガス抜きで終わる。

その繰り返し。

そしてまた明日はやってくる。

それでも明日はやってくる。

やめられない止まれない毎日。

それでも続いて行ってしまう日々。

それでも続けられてしまう自分。

そして自分も気づかないうちにリミットは超え、ある日突然やってくる強制シャットダウン。

 

何がいけなかったのか?

自分なりに上手くやっていたはずだ。

自分なりに頑張っていたはずだ。

なのになぜ、、、、。

 

『自然、足りてますか?』

 

って事。

 

私の大好きな某天空の城ラピ○タのシータの言葉にもある。

『土に根をおろし風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう』

『どんなに恐ろしい武器を持ってもたくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!』

 

中でも特にこの言葉がいつも頭に浮かぶ。

『土から離れては生きられないのよ』

 

アニメの世界の話だって?

いーや、ここに真実があるね。

どんなに発展した文明の中で生きようと、どんなにカッコ付けたって、どんなにキレイに着飾ったって、どんなにスタイリッシュに生きたって、本能が忘れちゃいないのよ。

忘れちゃいけないって言ってんのよ。

忘れないから本能なのよ。

 

本当に求めているのは何?

何が足りてない?

 

それは、人間味じゃない?

動物味じゃない?

自然味じゃない?

 

あなたはにんげんですか?

にんげんから自然を乖離出来ますか?

 

自然から、ある一部を切り取った不自然な元自然は、すぐにダメになるよね。

 

土をすくってビニール袋に入れて口をしばった事はあるだろうか。

すぐにある種のカビがワサッと生えてしまうよね。切りとらなければワサッと生えなかったのにね。なんでだろうね。

 

川の水をすくってバケツなどに入れてそのままにした事はあるだろうか。

しばらくすると水が腐ってしまうよね。流れたままなら腐らないのになんでだろうね。

 

キレイに管理され過ぎてしまった植物に付いた虫は一気に広まって最悪枯れてしまうよね。天敵が来てれば均衡を保って生き返ったのにね。なんでだろうね。

 

何かを間違ってるんじゃないか?

そもそも切り取っちゃいけないんじゃないか?

にんげんも、自然から切り取っちゃいけないんじゃないか?

 

前職時代から、そんな自然から切り離されてしまった事に気付いてしまった人々に、自然に触れる機会を提供する事があった。

 

私の案内に連れられ、皆、目をキラキラさせて畑に入って来た事を覚えている。

何の事はない。

ただ、一緒に畑仕事をしているだけだ。

それだけだ。

そして満足げに帰って行く。

何に満たされたのだろうか。

肉体的には疲労が蓄積されたはずだ。

しかし、それを上回る大事な何かを得たようだった。

 

もう、わかるよね。

何が彼らに足りなかったのか。

 

近々、ひょんな事からご縁を頂き、そんな自然欠乏症の方を支援する活動をしている方とお会いする予定だ。

何か組める事があるはずだ。

私の周りには職業上、自然しかないのだから。

組める事しか既に浮かばない。

 

 

何か理由があって繋がる縁なのだから、大切に紡いで行きたい。

 

未来へ。